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higolog

肥後が常日頃考えていることをここで表現します。

肥後のこと。小年期編。

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自慢話から入りますが、もちろん地獄話もあります。

まぁ最終的には地獄も含めて自慢話ですが(笑)

関西圏のごくごく普通の公立小学校に通う、正義感が強いお調子者でした。

運動神経もよく、テストの点数は学年で5番目ぐらいでした。

バレンタインデーにはチョコを4個もらった記憶があります。

 

 

他の生徒と圧倒的に異なっていたのは、、

物事を整理し、順序立てて説明する能力がずば抜けていました。

ケンカもほとんど負け知らずでした。

小学校の先生程度じゃ、話し合いになるとまず負けませんでした。

自分を含め、周りの友達のレベルも非常に高かったと思います。

そんな僕のキャラクターを示すエピソードをご紹介します。

犬事件

 

小学校4年生のときのことです。

通学路に大きな犬を散歩しているおばさんがいました。

登校中の生徒は怖がっていました。

正義感が強い僕は、「登校している生徒が怖がり、生徒が白線の外を歩き危険なので、犬の散歩をやめて下さい」とおばさんに言いました。

道には白線が引かれており、安全のためにその白線の内側を歩くことが登校ルールでした。

まぁ、僕自身はあまりルールを守っていませんでしたが(笑)

 

おばさんは「関係がない」と言い、散歩を続けようとしました。

こどもに注意されたところでガキが何言ってんねん、と思ったのでしょう。

僕は「学校へいって先生を交えてお話しましょう」と言うと、

おばさんはしぶしぶどこかへ行ってしまいました。

 

このおばさんは僕の一学年上の女の子のお母さんであることが後日分かりました。

残念な親を持ってかわいそうだなぁと思いました。

 

 

先生呼び出し事件

 

学校で低学年の生徒が男の先生にどつかれていました。

その生徒は僕の弟と同い年で、背は小さく、はしゃぎまわるタイプの子でした。

よくいるじゃないですか、自分をコントロールするのが苦手なハイテンションなこども。

 

その場では友達と「かわいそうやなぁ」と言っただけだったんですが、

時間が経つにつれだんだん腹が立ち、その男の先生に意見してやろうと思い立ちました。

 

このとき自分のヘタレさを痛感しました。

なぜ、あの場でとめることが出来なかったのだろう、と。

要するにビビったわけです。

まぁ、小学生と大人では腕力が全然違いますから、しょうがないといえばしょうがないのですが。

 

担任の女性教師に現場報告をしたところで、大した効果はないと思いました。

学校の先生を全く尊敬していなかったこともありますが、

その担任の女性教師がガツンと男性教師に意見することは到底無理だと考えました。

僕は担任の先生に、かくかくしかじかで男の先生に意見を述べたいので、

話し合いの場を設けてもらえないか打診しました。

 

友達数人と、男教師、担任の女性教師放課後に教室で話し合いが行われました。

友達には、僕が話するから黙って座っているだけでいいと事前に伝えておきました。

僕は、男先生になぜ暴力をふるったのか、と聞きました。

その生徒がウソをつき、ウソをつく子供には育ってほしくないという思いで手を挙げたということでした。

 

僕は、暴力の力加減が教育の域を越えている点を反省してもらいたい、と意見しました。

少しおおげさですが、暴力を受けた生徒が死ぬんじゃないかって思いましたから。

その男性教師は反論することもなく、「今後は注意する」と素直に認めてくれました。

こども相手にムキになるのが面倒くさかったのかは分かりませんが、

とりあえず意見が通って安心しました。

心臓がすごくドキドキしたのを覚えています。

 

タイムカプセル事件

 

小学校を卒業するとき、タイムカプセルを埋めようということになりました。

本当にただの屁理屈ですが、僕たちは「タイムカプセルに何の意味があるのか教えて下さい」と女性担任に質問しました。

担任の女性先生は激怒し、タイムカプセルは中止になりました。

 

時間が経ち、そんなことをすっかり忘れた僕たちは成人式の後、タイムカプセルを掘り起こしに小学校へむかいました。

隣のクラスがタイムカプセルを発見しているのに、

掘れども掘れども僕たちのタイムカプセルが見つかりません。 誰かが「俺ら埋めたっけ?」とつぶやき、当時の担任とのやりとりを思い出しました。

タイムカプセルは見つからなかったですが、生意気だった昔を思い出せて良かったですね。

まぁ、クラスの子には申し訳ないですが・・・。

 

僕と仲の良かった友達が京都大学に3人入ったことを考えると、

すごく優秀なメンバーに囲まれていた気がします。 特に一人は論文試験で京都大学に入りました。

日本語の天才です。

彼とは今でも仲良くやっています。

苗字の漢字1文字が一緒だったので、○○○○コンビと言われていました。

彼は私立の中学に行き、僕は公立の中学にいきました。

 

先生のズボンを下して死ぬほどしばかれたりしたのも、いい思い出です。

道理に背くことをされ、仕返しに恥をかかせてやろうと考えた行動でした。

 

学校では本当に何も不自由はありませんでした。

 

 ぶん殴られても意思表示

 

基本的に親父とオカンはすごく優しいのですが、小学校のときはよく怒られました。

漫画みたいにオカンに担がれておしりペンペンされたり、家の外に出されることもよくありました。

僕の家にはいくつかルールがありました。

 

ルール1、夜の9時には寝ること

ルール2、出されたご飯は残さず食べること

ルール3、うそをつかないこと

一見普通のルールなのですが、ルール1とルール2にはかなり苦しめられました。

僕は魚が苦手で骨のある魚は大嫌いでした。

味もそうですが、のどに骨をつまらせたことがトラウマになっていました。

 

魚が食卓に出ると、魚が食べれない僕は、

出されたご飯を残した状態で夜の9時をむかえざるをえません。

ある日、イワシが出ました。

食卓を見た瞬間、「終わったな・・・。」と思いました。

 

イワシ以外にも野菜を残した状態で、時計の針が9時を指したそのときです。

先に晩御飯を食べ終わってくつろいでいた親父が突如、僕に近づき、

お皿に残っている残飯を無理やり僕の口につっこんできたのです。

 

僕は即効でトイレに行き、ゲロ。

 

僕は殴られるの覚悟で、こんなことして何の意味があんねん!!

結局ゲロ吐くから栄養とれてないわ!!と捨て台詞を吐き、二階へ逃げました。

猛然と襲ってくる親父にあっという間につかまり、案の定ぶん殴られました。

悔し涙を流したのを覚えています。

いいわけをしたり、しょうもないことで文句を言うとよくオカンに怒られていました。

 

いいわけをせずに、快く引き受けることが自然と身に着いた気がします。

何でもかんでも引き受けるのは良くないですが、

引き受けるのであれば快く引き受けるように努めています。

晩飯抜きペペロンチーノ事件

 

兄弟3人が風呂掃除や洗濯物を頼まれて嫌な顔で返事をすると、

オカンが怒り、僕たちがどれだけ謝っても晩御飯を作らないの一点張りです。

 

長男の僕はこのままでは兄弟3人が餓死すると思い、

見よう見まねでペペロンチーノを作りました。

 

自分で食べた瞬間、ゲロ不味くて僕はほとんど残しました・・・。

翌日にもう一度オカンに謝り、無事にご飯を作ってくれるようにはなりましたが。

 

家の外にも怒られてる声が聞こえるらしく、悪いことをしたらとにかくよく怒られていました。

すごい恥ずかしかったのを覚えています。

 

人前で親と行動するのが本当に嫌でした。

オカンと人前で話するのも恥ずかしく、オカンが話かけてくると

「分かった、分かった」とあしらっていてました。

この行動がオカンを怒らせ、完全な悪循環でした。

ふつうの人は外食を喜ぶでしょうが、僕は親と人前に出るのが嫌だったので外食嫌いでした。

 

小学生の頃は本当に友達の親が羨ましかったです。

今は全くの逆で、他人の家族を羨ましく思うことはまずないですね。

 

相手の目を見て話すこと、挨拶をすること、短気は損気、自分がされて嫌なことは他人にしない、弱いものいじめはしない、などなど。

非常に大切なことを教わりました。

僕のからだに大切な教えがしみ込んだことは結果的にすごく感謝してます。

当時はスパルタが嫌で嫌でしょうがなかったですね。

 

体が大きくなったら仕返ししてやろうと本気で思ってました。

今は魚は大好物ですし、特に鰻が好きです(笑)

  

なぜウソをついてはいけないのか?

 

ウソをつかないこと、という親からの教えなのですが、

このウソをついてはいけない理由に愛を感じたので紹介します。

サプライズのウソや相手をおもいやるうそは問題ありませんよ(笑)

 

僕の友達のおもちゃがなくなるという事件が起きました。

僕はもちろん犯人ではなかったのですが、友達の親から電話があり、

親同士で状況を確認することになりました。

 

正直に答えなさい、という前置きがあり、おもちゃを盗んだかどうかについて話をしました。

 

両親は僕を信じると断言しました。

僕の言ったことを信じ、相手のご両親に話をすると。

僕のお父さんとお母さんはこども(僕含め兄弟全員)を愛していると言いました。

そして今後、もし何か問題が起こったときも全力で守ると言いました。

そのとき、もし僕が普段からウソをつく人間だと、

両親は僕を信じ続けることが難しくなると説明しました。

 

両親は何があっても、こどもの味方であるが、

心のどこかで自分のこどもを疑うことほど悲しいことはない、と。

だから、ウソをつかずに正直に話なさい、という教えでした。

 

こんなに厳しかった両親も僕が中学校に入ってからは、ほとんど僕を怒ることがなくなりました。

僕が成長したというよりも小学校のときに全力で僕にメッセージを伝えきったという感じですかね。

 

中学校の頃からは苦手な野菜は食べなくても怒られなかったですね。

小学校のときは好き嫌いが多かった僕ですが、今ではほとんど好き嫌いはありません。

偏食家なので野菜はほとんど食べませんが(笑)、野菜もおいしく食べれます。

 

厳しい側面も持ち合わせていましたが、基本的にはすごくおもしろい親父でした。

サッカーの父兄の中でも人気者(名物親父)でしたし、よく親父ギャグを言ったりしてましたね。

 

冬の試合ではかなり本格的な豚汁をふるまったり、

バーベキュー大会では丸めたタオルを鼻に入れてふざけた写真をとったりと、

ユニークな親父が大黒柱の本当に幸せな家族です。